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第2章の補足と文献

大恐慌の中の論争
ハイエクとケインズの論争については、ハイエクの『貨幣論』についての長文の書評があるが、非常にわかりにくい。またこの書評が発表されたとき、ケインズはすでに考えを変えて『一般理論』の準備をしていたこともあって、論争はすれ違いに終わった。しかし二人の理論的な立脚点は、一般に思われているほどかけ離れていない。両者とも、ヴィクセルの資本理論をもとにして動的な景気循環の理論を組み立てようとしてたことは共通している。

ただハイエクがヴィクセルの自然利子率の概念を使い、彼の「累積過程」の理論を拡張して資本理論を考えていたのに対して、ケインズは『貨幣論』ではヴィクセルに全面的に依拠しているが、『一般理論』では自然利子率の理論を否定している(pp.242-3)。ケインズは自然利子率を「物価の安定する水準」と解釈し、それは投資と貯蓄を均等化するだけで完全雇用を保証しないと述べ、「古典派経済学」は、現実の利子率がつねに自然利子率と一致すると仮定していると批判した。

これに対して、ハイエクは「ケインズはヴィクセルを誤解している」と批判し、自然利子率の概念をもっと広く「実物経済の均衡する水準」と解釈した。ここでは自然利子率と現実の利子率は必ずしも一致せず、両者の乖離によって景気循環が起こるとされる。したがって不況や失業が起こる原因は、ケインズが(『貨幣論』でも『一般理論』でも)主張したような過少消費ではなく、労働市場や金融市場における不均衡の結果だ、というのがハイエクの論点だった。

この論争は学説史的なトリビアと思われがちだが、自然率の概念は現在でも使われる。フリードマンの「自然失業率」はヴィクセルの発想を労働市場にあてはめたものだし、クルーグマンは、90年代の日本のデフレの原因を自然利子率(実質金利の均衡水準)が負になっているためだとして、この状態を脱出するには、インフレによって実質金利を負にするための「インフレ目標」が有効だとした。

ケインズとケインズ派
ケインズの「古典派」批判は明らかに間違っており、金利がつねに自然率に等しくなると述べた経済学者はいない。ケインズ自身が『貨幣論』では、自然率の水準で過少消費が起こるために不況になると考え、中央銀行が金利を引き下げれば景気は回復すると主張した。これに対して、ハイエクは書評(1931) で、そのような自然率から乖離した金融政策はかえって経済を不安定にすると批判した。

ところが、このころには金融政策がきかないことはわかっていたので、ケインズは立場を変え、労働党の主張していた失業対策事業のほうが即効性があると考えた。「瓶に紙幣を詰めて埋めてもいい」(p.129)という『一般理論』の悪名高い冗談は、その後の政治家によって文字通り実行された。しかしケインズは、こういうバラマキが失業対策に有効だ(それは自明だ)というだけでなく、それが社会全体の所得水準を高めることを示すために『一般理論』を書いたのである。

しかしこの理論は、かなり奇妙な混乱したもので、それをどう解釈するかで、当時の経済学者の議論はわかれた。それはヒックスが一般均衡理論に似た解釈でわかりやすい図式にして初めて、教科書に載るようになった。この「IS-LM理論」は、今でも入門的な教科書には出ているが、ケインズが「私の理論とは違う」と否定し、ヒックスものちに撤回した。

ケインズ自身が書いた『一般理論』の要約には、ヒックスの「流動性の罠」のような考え方は、まったく出てこない。そこでケインズが繰り返し強調している彼の理論のコアは、不確実性である。金融市場は資金需給を均衡させるが、その金利が未来を正確に織り込んでいるという保証はない。大恐慌のような状況では、不確実性を避ける金利生活者の流動性選好(貨幣への過剰な需要)によって投資資金は不足するので、政府がそれを補わなければならない、というのがケインズの主張だった。これは新古典派とはまったく違う心理学的な議論で、今日でいう行動経済学に近いが、理論としてはアドホックな感は否めない。

『一般理論』の難解な記述を理解するには、ケインズの『確率論』まで戻ったほうがいいかもしれない。ここで彼は、確率をサイコロの目のような頻度と考える客観的確率論ではなく、将来に対する確信の強さと考える主観的確率論を提唱した。しかし彼の記述はたぶんに混乱したもので、Ramseyはこれを批判して数学的に洗練された主観的確率論を定式化した。これはのちにvon NeumannやSavageによって期待効用理論として体系化され、ゲーム理論などの基礎になった。

しかしSavage的な確率論は、ケインズのいう「論理的確率」とは微妙にずれている。前者では事前確率を所与と考えるが、ケインズは命題の重要性を直観によって判断するとした。これが非合理的だとして、彼の確率論は主流とはならなかったのだが、最近もてはやされているKnightian uncertaintyの概念はこれに近い。不確実性の意味を考えるには、Knightも必読である。

「ケインズ革命」と呼ばれるマクロ経済学の端緒となったのは、Hicksの有名な論文である。ここでは彼が『価値と資本』で展開した(静学的な)一般均衡理論と同じ枠組によって、ケインズの理論をIS曲線(貯蓄=投資の均衡スケジュール)とLM曲線(貨幣需給の均衡スケジュール)として定式化している。しかし均衡理論と解釈すると、なぜ失業(不均衡)が持続するのか説明できないため、「流動性の罠」などのアドホックな説明をせざるをえなかった。

ヒックスの図式は、ケインズの『一般理論』よりはるかにわかりやすく、初等的な教科書にも載せることができるため、これによってマクロ経済学が生まれ、ケインズ派とよばれる学派が誕生し、戦後の経済政策に大きな影響を与えた。しかしケインズはこうした均衡理論的な解釈を一貫して否定し、ヒックスものちに撤回した。

コーディネーション問題
ハイエクは、『一般理論』の出版された当時はまとまった論評をしなかったが、のちに何度かケインズを批判している([1978]ch.12)。ここでハイエクは、失業の原因を労働市場のコーディネーションに求めている:

The older, and to me convincing, explanation of extensive unemployment ascribes it to a discrepancy between the distribution of labour (and other factors of production) between the different industries (and localities) and the distribution of demand among their products This distortion is caused by a distortion of the system of relative prices... (emphasis added)

こうした相対価格のコーディネーションの問題は、ケインズの理論をどう論理的に一貫した体系として解釈するかというmicrofoundationの議論として、1970年代に盛んになった。その初期の理論としては、Clower, "The Keynesian Counter-revolution"(1965)が有名だが、これを拡張したLeijonhufvud, On Keynesian Economics and the Economics of Keynes (1968)は、ケインズの理論を「固定価格経済」の不均衡理論として再解釈し、大きな反響を呼んだ。

しかしこの種の理論は解釈として無理があるばかりでなく、なぜ不均衡状態が均衡に収斂しないで続くのかという説明が困難で、しばらくすると数学的に扱いやすい合理的期待理論にとって替わられてしまった。Friedmanは不均衡理論を短期の数量調整過程と考え、長期的にはワルラス的な価格調整が行われるとして、不均衡モデルを新古典派に組み込んだ。不均衡が持続する原因をミクロ的に説明したのが、Mankiw-Romerなどの新ケインズ派だが、これもケインズとはまったく違う均衡理論の一種である。

ただ失業をコーディネーションの失敗ととらえるハイエクのアプローチは、その後もいろいろな形で受け継がれている。代表的なのは、Lilienに始まるsectoral shift理論だろう。これは失業を労働移動にともなう摩擦的な現象と考えるものだ。Fischer Blackも同様の多部門モデルを考えていた。こうした理論は実証的には疑問があるとされたが、その後も同様の研究は続けられており、最近ではCaballeroがある。

特に日本では、こうした部門間の再配分の遅れが、中長期の「構造問題」として重要な意味がある。日本の労働生産性が低下している最大の原因は、衰退産業で長期雇用による「労働保蔵」が行われ、生産性の高い産業に労働人口が移動しないことだというのが実証研究の結論である。これは若年労働者の雇用の不安定化の原因ともなっている。

現在のアメリカの金融危機も、広義のコーディネーションの問題である。金融市場は、コーディネーション装置としての貨幣の需給を調整しているばかりでなく、未来の見通しを調整するシステムでもあるので、これが崩壊すると経済全体が機能しなくなる。この意味で、大恐慌の原因は集計的な過少消費ではなく、個々の市場の機能不全だと論じたハイエクの批判は当っていた。現在のアメリカ政府もFRBも、ケインズ的な総需要管理政策は行っていない。ハイエクとケインズの論争は、70年後にようやく決着したのかもしれない。

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