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第3章4節 客観的知識と個人的知識

ハイエクと同じ時期に全体主義や社会主義を批判したのが、彼と同じくウィーンに生まれ、ロンドンに渡った哲学者カール・ポパー(一九〇二~一九九四)である。ポパーは『開かれた社会とその敵』(一九四五年)で、社会主義のような「ユートピア社会工学」は、全体を個より上に置いて歴史の必然に身をゆだねる「歴史主義」であり、革命や暴力によって社会を一挙に変革することは危険だと批判した。

一九四〇年代、まだ「進歩思想」と思われていた社会主義を全面的に否定した点で、ハイエクとポパーはよく似ており、彼らは個人的にも親しかった。またポパーの「反証可能性理論」と呼ばれる科学哲学から、ハイエクは影響を受けている。しかし彼らには、少なからぬ違いもあった。

ポパーは、当時の分析哲学の主流だった「論理実証主義」を批判し、理論の正当性を実験的な検証によって裏づけることはできないと主張した。いかに多くの実験で検証しても、次の一回でそれが否定される可能性を排除できない。経験的事実から理論を「帰納」する手続きというのはありえないのだ。そしてポパーは、科学と非科学をわける基準として「反証可能性」を提唱した。

ある理論が実験や事実によって反証されうるなら、それは科学だが、反証を許さないものは科学ではない。ヘーゲルやマルクスのいう「歴史法則」は、あまりにも包括的で漠然としているため、具体的な事実によって反証できないので、科学とは呼べない。それは人々を情緒的に駆り立てる宗教のようなものである。

しかしポパーの反証主義には論理的な弱点があった。その有名な例が、海王星である。天王星は一七八一年に発見されたが、その軌道を計算するとニュートン力学の予想からずれていることが明らかになった。これは明白な「反証」であり、ポパーの理論に従うなら、ニュートン力学は棄却されなければならない。しかしそういうことは起こらず、一八四六年に海王星が発見され、反証はなくなったのである。

反証主義は、非科学的な「まじない」のようなものから科学を区別する役には立つが、何が科学で何が科学でないか、などという厳密な基準はありえない。物理学でさえ、彼が信じていたほど厳密な科学ではないのだ。ポパーが死去したとき、イギリスの新聞は「科学的な理論は反証可能でなければならないという彼の理論は、それが反証されたことで正しいと判明した」という残酷な弔辞を送った。

ハイエクは、当初はポパーのこうした方法論に影響を受けたが、次第にポパーの議論があまりにも素朴な「科学主義」だと批判するようになった。それは経済学が自然科学とは違って、人間の主観に依存する学問であり、「経済理論の過去一〇〇年の重要な進歩は、ことごとく主観主義の一貫した適用による進歩であった」からだ。[1952: 30]

この点で、彼は同じく反社会主義の盟友だったハンガリー生まれの科学者マイケル・ポラニー(一八九一~一九七六)の「暗黙知」や「個人的知識」の理論に傾いていった。ポラニー[1958]は、ポパーの追求するような「客観的知識」は人間の知的活動の氷山の一角であり、実際の科学は科学者の習慣や常識などの言葉にならない暗黙の個人的知識に支えられていると主張した。本源的な知識は、こうした身体的知識であり、それが「分節化」されて言語などの客観的知識になったのである。

これはハイエクの『感覚秩序』や後期ヴィトゲンシュタインの言語ゲームの理論にも通じる先駆的な発想だった。当時はこれを実証するデータはなかったが、最近の脳科学では、こうした感覚をつかさどる「辺縁系」と呼ばれる古い脳が、行動の基礎にあることが明らかにされている。

ポラニーの科学思想は、トマス・クーンの『科学革命の構造』(一九六二年)に影響を与え、実証的に確かめられた。ニュートン力学の反証はいくつもみつかっていたが、物理学者はそれを捨てなかった。代わりの理論がなかったからだ。彼らがニュートン力学を最終的に捨てたのは、一九〇五年にアインシュタインが相対性理論を発表したあとである。科学的な「パラダイム」も一種の宗教のようなものであり、それを倒すのは実験でも事実でもなく、よりすぐれたパラダイムなのだ。

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